文化人類学 大阪考

S.Y(狭山台・S46法卒)

 娘夫婦が大阪に転勤で六年程いたので、たびたび大阪を訪れていました。
箕面、豊中、吹田、池田、高槻、摂津の各市を北摂七都市と言います。大阪に転勤してくるサラリーマンは大体前述した大阪北部のいずれかの市に住みます。
娘夫婦が住んでいたのは豊中市でした。森友学園問題で騒がれたこともある通勤に便利な街です(新大阪 や梅田に行くのに十五分)。

 大阪ではエレベーターの右側に 人が立ち止まり、左側を開けて急ぐ人を通しており、東京とはまるで逆になっています。
 また、バスを待っている人々はバスがやってくる方向に顔を向けています。
 これは外国と同じで東京でバス待ちをしている人々のように首を曲げて見る必要もなく合理的であり、バス停自体もその向きに作ってあります。
 大阪で車を運転していると、自転車が左右、斜めから割り込んでくるし、車も黄信号で止まることは先ずなく、赤になった瞬間もすっ飛ばしていくのでかなり神経を使います。

 レストランに行くと必ず予約の有無を聞かれます。これは多分に大阪の人はせっかちで待たされることを嫌うせいかなと思います。街を歩いていると歩行喫煙もかなり多く、喫茶店も喫煙OKの店が多数見受けられます。

 最後に出汁(だし)文化、粉もん文化にふれておきます。よく、大阪は食い倒れの街と言われます。北前船が運んだ昆布と紀州の鰹節を融合させたのは大阪商人だと言われています。また、粉もん文化を発展させたのは千利休だという説もあります。麺類はどこへ行っても出汁が効いていて美味しく、また、たこ焼き、お好み焼きも美味しい店が多かったのを覚えています。

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