私の骨折体験記

H.Y(祇園・S48商卒)

 忘れもしません2019年5月19日、孫の小学校の運動会がありました。運動会というとじっとして いられない私です。いつもより砂糖を多めに入れた卵焼きを作って出かけました。保護者が出番の「障害物競争」になんの躊躇もなく出場しました。あとから考えれば、保護者じゃないのですから、ここで出たのが間違いでした。

 4人ずつ走ります。はじめは網を潜ります、網から出たときは2番でした。次に横に張られたゴムを飛びます。ここで3位に落ちました。最後は麻袋に両足を入れてピョンピョンと跳ねながらのゴールです。麻袋 に足を入れている時に教頭先生がハンドマイクを持って、私に向かって 「気を付けてください!注意してください!」と叫んでいます。(何を言っているのかしら?注意するに決まっているでしょ、これは中途半端にはねると前につんのめってしまうから、思い切ってピョンとはねればいいのよ)と思いながら、思い切ってはねた時にズン!と腰に痛みが走りました。そのままはねながらゴールしました。結局4位に落ちました。

つまり、屈辱のビリです。

 翌日から腰が痛いなぁと思いながらも、自転車を乗り回し、普通に過ごしておりました。でも、友人から 「ちゃんと調べるべき」と言われて、 病院に行きました。「大丈夫でした よ」とその友人を安心させるために 行きました。レントゲン検査は異常なしでしたが、念のためMRI検査をと言われました。病院ってこうやって、検査料をとって儲けるのねと思いましたが、医師の名前が初孫と 同じ名前でしたので、「この名前に悪い人はいないでしょう」と信じることにしました。MRIの検査は1週間後に聞きに行くことになりましたが、どうしても外せない用事があり2 週間後に聞きに行きました。どうせ「異常なし」なのだから慌てて聞きに行くこともないでしょうと考えておりました。ところが結果は「骨折ありますね、ほらここです」と白く変色した骨の写真を見せられました。「コルセットを付けてください。採寸しますから午後からもう一度来て ください」と言われションボリと帰宅しました。

 「その日は以前勤めていた職場の人たちと、西武球場に行くことになっていましたので、「遅くなる」と連絡を入れました。せっかくとったチケットです、野球 観戦を中止にする選択肢はありませんでした。
  採寸はなんと胸まで測ります。痛み は腰なのになぜゆえに胸まで測るのかと聞きましたら「ここまでのコルセットですから」と首の少し下までを指すのです。そのコルセットを作る方は、カルテを見直して「胸椎1 1番ですから」と。そうです、腰椎ではなく胸椎でした。ショックを抱えながらの野球観戦です。山川のホームラン!思わず飛び跳ねて喜んで しまいましたが、腰にひびきます。そうだ!私は骨折中だったと、その後の追加点にも飛び跳ねることはガマン、ガマン。

 めでたくコルセットが出来上がったのは6月18日、運動会から1ヶ月が経っていました。3ヶ月は付けるように言われました。もう、上半身はロボットのようです。これから暑くなるというのにこの夏を乗り切れる自信はありませんでした。

 ここで、狭山白門会の方々に「私を励ましてください」とメールでお願いしました。
数人の方から「頑張って」との励ましを受け、おかげさまで、無事に頑 張ることができました。ありがとう ございました。特に夏の台所は暑くて発狂しそうでしたが、頑張りました。

 2ヶ月と10日経った8月27日 にコルセットを外すことが出来ました。ついでに骨密度を測ってもらい ました。同年齢の女性と比べたら1 06%、しかし若い女性と比べたら79%しかありませんでした。70%以下ですと「骨粗鬆症」と診断され投薬の必要があるそうです。「79%は予備軍だから薬を出す」と言われましたが、「運動と食事で頑 張りますから」と薬は拒否しました。今はちりめんじゃこ・干し椎茸・かかと落としと骨に良いと言われるものをいろいろ試しながら過ごしてお ります。

このことで得た教訓は「自分の年齢を忘れてはいけない」ということでした。

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